ポンペイは、イタリア南部カンパニア州のナポリ近郊、ヴェスヴィオ山のふもとにあった古代都市です。西暦79年のヴェスヴィオ山の噴火で、近くの町ヘルクラネウム(現在のエルコラーノ)などとともに火山灰と軽石に埋もれました。厚さは場所によって4〜6メートルに達したと、英語版ウィキペディアは説明しています。
町は火山灰に覆われたことで、建物、壁画、道、店、落書きまでが、古代ローマ都市の姿のまま残りました。日本語版ウィキペディアは、ポンペイを「建造物や街区が古代ローマ当時のままの唯一の町」として紹介しています。ユネスコは1997年に、周辺の遺跡とあわせて世界遺産に登録しました。
見学の中心は、歩いて回る古代の街並みです。フォロ(中央広場)、劇場、円形闘技場、浴場、貴族の邸宅、飲食店の跡が、そのまま通りに面して並んでいます。出土品の多くはナポリ国立考古学博物館に収蔵されているとされ、遺跡の中では建物と壁画を、博物館では彫刻やモザイクを見る、という分担になります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 場所 | イタリア、カンパニア州、ナポリの南東(ポンペイ市) |
| 広さ | 約64〜67ヘクタール(英語版ウィキペディア) |
| 世界遺産 | 「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」(1997年) |
| 入場券 | 記名式。1日の入場は2万人まで |
| 営業時間 | 夏季9:00〜19:00(最終入場17:30)、冬季9:00〜17:00(最終入場15:30) |
| 休園日 | 12月25日と1月1日(公式の案内。変更の告知あり) |
| 最寄り駅 | ヴェスヴィオ周遊鉄道 ポンペイ・スカヴィ・ヴィッラ・デイ・ミステーリ駅など |
情報は2026年10月に公式サイトで確認した内容です。10月15日から冬季の時間割に変わります。営業時間や料金は変更されるため、出かける前に公式の案内で確認してください。
ポンペイは、噴火で突然生まれた遺跡ではなく、数百年続いた生きた都市でした。
日本語版ウィキペディアによると、最初にこの地に集落をつくったのはイタリア先住のオスキ人です。紀元前6世紀にはエトルリア人に支配され、紀元前474年のクマエの海戦で、ギリシャ人と同盟したポンペイ市民がその支配から脱しました。紀元前424年にはサムニウム人に征服されます。
同盟市戦争の末、紀元前89年にスッラによって征服されると、ポンペイはローマの植民都市になりました。港に届いた荷物を近くのアッピア街道へ運ぶ拠点として栄え、ブドウ栽培とワインづくりも盛んでした。通りは碁盤の目のように区切られ、中心にはフォロがある、計画的な街でした。
西暦62年2月5日には大きな地震が起き、ポンペイを含むカンパニアの町が被害を受けました。再建の途中だった町を、17年後に噴火が襲います。
英語版ウィキペディアによると、噴火は2日間続きました。最初の約18時間は軽石が降る段階で、住民の多くはこの間に町を離れることができたと考えられています。その後、夜から翌朝にかけて火砕流が発生し、残っていた人々と建物に及びました。
死者の数は、資料によって違います。英語版は、現地で確認された遺体を約1,150体としています。日本語版は、犠牲者を約2千人としています。町の人口も1万人前後とされるものの、数え方で幅があるため、本サイトでは一つの数字には断定しません。
当時の様子を伝える貴重な記録が、小プリニウスが歴史家タキトゥスに送った手紙です。海軍の司令官だった叔父の大プリニウスは、救助のために船で向かい、命を落としました。この手紙の描写から、ヴェスヴィオ山のように高く噴煙を上げる噴火は、のちに「プリニー式噴火」と呼ばれるようになりました。
噴火のあと、この地に町が再建されることはありませんでした。地中に古代の町があることは知られていましたが、本格的な調査が始まったのは18世紀です。ヘルクラネウムが1738年に、ポンペイが1748年に発掘されはじめました。当初は財宝探しの色が濃く、略奪や破壊も多かったと、英語版は説明しています。
科学的な発掘を進めたのが、1863年に責任者となったジュゼッペ・フィオレッリです。火山灰の中に空洞があることに気づき、そこに石膏を流し込む方法を考案しました。腐って消えた遺体の形が再現され、最期の瞬間の姿勢や、犬の姿までがわかる石膏像になりました。フィオレッリは、遺跡を9つの地区と街区に分け、家々に番号をつける整理も行いました。
20世紀には、1950年代にかけて大規模な発掘が行われました。しかし、掘り出した建物は風雨にさらされ、傷みが進みます。2010年には「剣闘士の家」と呼ばれた建物が崩れ、保存体制への批判が高まりました。2012年から、EUの支援を受けた大規模な保存計画「グランデ・プロジェクト・ポンペイ」が始まっています。
発掘は終わっていません。2018年以降、これまで手をつけていなかった地区で新しい発見が続き、2020年12月には、色鮮やかな壁画が残る軽食屋「テルモポリウム」が見つかりました。店のカウンターの壺には、鴨、ヤギ、豚、魚、カタツムリなどの食べ物の痕跡が残っていたと、英語版は伝えています。
遺跡の広さは、約64〜67ヘクタールとされます。東京ドーム十数個分の広さがあり、すべてを丁寧に見るには1日では足りません。公式の案内も、複数の入口と、時間に応じた見学ルートを用意しています。
通りは石で舗装され、道路の中央を車が通れるよう、歩行者が渡るための踏み石が置かれています。車輪の跡が深く残る場所もあり、当時の交通の様子がわかります。水は水道橋で運ばれ、公共浴場や25を超える街角の噴水、多くの住宅や店に配られていました(英語版)。
ポンペイの魅力は、大きな神殿よりも、日常の細部にあります。壁に刻まれた落書きは、教科書のラテン語とは違う、当時の口語を伝える資料です。軽食屋の「テルモポリウム」は、英語版によると、町に100近くあったとされます。パン屋、製粉所、市場、居酒屋、そして娼館の跡まで、商業都市の姿が通りに並びます。
日本語版は、焼いたままのパン、食卓に並んだままの食事と食器、貨幣、クリーニング業のような職業の跡、二人掛けのトイレなどを紹介しています。壁画の鮮やかな赤は「ポンペイ・レッド」とも呼ばれ、日本語版は、火山灰が湿気を吸い、壁画の劣化を抑えたと説明しています。
広い遺跡では、最初に見たい場所を絞ると、迷わず回れます。詳しくは見どころのページで解説します。
市民の集会や宗教、商業の中心だった広場。奥にヴェスヴィオ山が見えます。
大劇場、小劇場、円形闘技場が残ります。闘技場は観客の誘導が工夫された設計として、研究者に評価されています(英語版)。
町には少なくとも4つの公共浴場がありました。当時の入浴文化を伝えます。
ヴェッティの家、ファウヌスの家などが知られます。公開状況は変わるため、当日の案内で確認します。
郊外にある大きな別荘。ディオニュソスの儀式を描いたとされる大壁画で有名です。
噴火の犠牲者の姿を伝える石膏像。公園内のアンティクアリウムなどで展示されています。
ポンペイの背後にそびえるのがヴェスヴィオ山です。ナポリの東約9キロ、標高1,281メートルの火山で、1944年3月22日を最後に噴火していませんが、24時間体制で監視されています(日本語版ウィキペディア)。国立公園になっており、火口の縁まで歩けます。火口へ入る「グラン・コーノ」の入場券は、公式サイトによるとオンラインのみで購入できます。
同じ噴火で埋もれたエルコラーノ(ヘルクラネウム)は、ポンペイよりも小さな町ですが、木製の階段や梁などが炭化して残るのが特徴です。ナポリから同じヴェスヴィオ周遊鉄道で行けます。ナポリ市内では、出土品を収蔵する国立考古学博物館も見どころです。
ポンペイは、遺跡そのものだけでなく、ヨーロッパの美術や物語にも影響を与えてきました。
日本語版ウィキペディアによると、ギリシャやローマの建築は、白い大理石の色が中心でした。そこに、ポンペイの多彩な色の装飾が知られたことで、建築、彫刻、絵画、装飾の分野に新しい流れが生まれ、新古典主義を後押ししたとされます。18世紀に発掘が始まったことが、古代への関心を大きく高めました。
物語の題材としても、ポンペイは繰り返し取り上げられてきました。19世紀の小説『ポンペイ最後の日』は、のちに何度も映画になっています。2014年の映画『ポンペイ』のほか、ピンク・フロイドの『ライヴ・アット・ポンペイ』や、日本の漫画『プリニウス』(ヤマザキマリ)、『世界史探偵コナン』の巻など、日本でも多くの作品に登場します。遺跡を歩く前にこうした作品に触れておくと、街の見え方が変わります。
ポンペイには、遺跡の石や破片を持ち帰ると不幸になる、という迷信があります。科学的な根拠はありませんが、持ち去りを思いとどまらせる効果があるとされています。日本語版ウィキペディアによると、遺跡には、返された遺物と一緒に「謝罪の手紙」を展示する場所があります。遺跡では、床や壁に触れることも、石を拾うことも、禁止されています。
当サイトは公式サイトではなく、独立した非公式の紹介サイトです。公式サイトは pompeiisites.org で、英語版を確認しています。日本語版は確認できていません。ブラウザの翻訳機能が使えます。
イタリア南部、ナポリの南東にあります。ナポリからヴェスヴィオ周遊鉄道で行けます。詳しくは行き方をご覧ください。
西暦79年のヴェスヴィオ山の噴火で、火山灰と軽石に埋もれ、火砕流にも襲われたためです。噴火の日付は従来8月24日とされましたが、10月以降だった可能性が指摘されています。
遺体そのものではありません。火山灰の中にできた空洞に石膏を流し込み、犠牲者の姿を再現したものです。この方法は、1863年に発掘責任者となったフィオレッリが考案しました。
入場券は記名式で、1日2万人の上限があります。オンラインでの事前購入が公式に勧められています。窓口でも買えますが、混雑する日は待ち時間が長くなります。
主な見どころだけなら2〜3時間、じっくり見るなら半日以上が目安です。広い遺跡なので、見たい場所を先に決めておくと回りやすくなります。
はい。1997年に「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」として登録されています。
公式のオーディオガイドは、遺跡内で貸し出されます。日本語があるかどうかは、公式ページで確認できていません。旅行会社の日本語ガイド付きツアーもあるため、購入前に言語を確認してください。